沿革
history
沿革略史
黒字:学校関係 紫字:同窓会関係
- 高等師範学校附属中学校(旧制)
- 明治21年(1888年)~明治35年(1902年)
- 東京高等師範学校附属中学校(旧制)
- 明治35年(1902年)~昭和24年(1949年)
- 東京教育大学附属高等学校・附属中学校
- 昭和24年(1949年)~昭和53年(1978年)
- 筑波大学附属高等学校・附属中学校
- 昭和53年(1978年)~
- 桐陰同窓会
- 昭和61年(1986年)~
1906年(明治39年)2月11日、桐陰会紀念会の集合写真。雪の残るグラウンドにて。中央は嘉納治五郎校長兼桐陰会会長。
1914年(大正3年)8月4日、富浦沖ノ島大遠泳(約5浬≒9.3km)の記念写真。
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明治
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5年(1872年)
神田昌平黌跡(神田宮本町)に師範学校が創設される -
6年(1873年)
師範学校生徒の実習の為の附属小学校が設置される 師範学校を東京師範学校と改称 -
18年(1885年)
東京女子師範学校を合併、同時に高等女学院、女子小学校並びに幼稚園を当附属小学校と合併 -
19年(1886年)
東京師範学校を高等師範学校と改称 -
21年(1888年)
9月11日、附属学校に尋常中学科(旧制附属中学校)が設けられる 男子生徒の帽子と五三桐の微章が定められる -
23年(1890年)
校舎を神田区(現千代田区)一ツ橋通町に移転する
高等師範学校女子部が分離され、女子高等師範学校(現お茶の水女子大学の前身)が設置される
校友会(桐陰会の前身)が設立される -
26年(1893年)
旧制附属中学校の第1回卒業生8名が卒業 -
30年(1897年)
制服が制定される。校友会を桐陰会と改称。最初の運動会開催
桐陰会雑誌第1号発刊 -
33年(1900年)
桐陰会野球部、端艇部が設立される -
35年(1902年)
高等師範学校を東京高等師範学校と改称、東京高等師範学校附属中学校となる
桐陰会歌が作られる -
36年(1903年)
東京高師、小石川区大塚窪町に移転。附属中学校、旧東京高師校舎に移転
桐陰会庭球部、水泳部が設立される -
37年(1904年)
千葉県富浦で水泳行事が開始される -
43年(1910年)
大塚窪町の東京高等師範学校構内の新築校舎に移転
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大正
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2年(1913年)
創立記念日を10月30日とする -
3年(1914年)
富浦寮が完成 -
9年(1920年)
第1回開成ボートレースが開催される -
11年(1922年)
1年生(36回)より1学年3学級編成となる
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昭和
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3年(1928年)
校旗が制定される -
4年(1929年)
東京文理科大学創立(東京高等師範学校附置)
長野県芦田村に桐陰平高原寄宿舎を新設(蓼科生活の始まり) -
7年(1932年)
高原寄宿舎を蓼科桐陰寮と改称。山岳部佐渡金北山で遭難 -
12年(1937年)
桐陰会応援歌が作られる -
15年(1940年)
1年生(54回)より1学年4学級編成となる
現校地である大塚町56(現・大塚1-9-1)の新校舎(木造2階建)に移転 -
19年(1944年)
学徒動員、附属中学4・5年生(54・55回)は勤労動員で工場に出勤 -
20年(1945年)
空襲による校舎焼失のため、附属小学校に移転。3・4年生(56・57回)は勤労動員で工場へ、1・2年生(58・59回)は附属小学校で作業と授業
終戦後、小学校で5日制2部授業を開始 -
21年(1946年)
蹴球部、東西対抗蹴球選手権大会、全日本決勝で勝利、日本一に
野球部、第28回全国中等学校優勝野球大会に出場、準決勝で惜敗。後に云う「甲子園の土」を持ち帰る
体操部・端艇部、第1回国民体育大会に出場 -
22年(1947年)
文理大焼け残り図書館と附属小学校で授業
新制附属中学校発足。中学1年生(61回)から男女共学が始まる
現在地に木造平屋建2棟の校舎が新築され4・5年生(57・58回)が移る
蹴球部、湘南高校との定期戦開始 -
23年(1948年)
新制附属高等学校が発足。前・後期の2学期制へ
木造2階建2棟の校舎が新築され中・高の全生徒が大塚町に移転する -
24年(1949年)
東京教育大学が開学し、東京教育大学附属中学校・高等学校と改称 -
25年(1950年)
高校1年生(61回)より男女共学が始まる
家庭科校舎(木造平屋)工事落成 -
26年(1951年)
高校1年生(62回)より1学年5学級編成となる
蓼科高原桐陰寮本部棟落成、これにより1年生全員が蓼科生活に参加することとなる
女子の制服が制定される -
27年(1952年)
女子の学習院戦が始まる -
28年(1953年)
東京文理科大学、東京高等師範学校閉学 -
31年(1956年)
プール落成 -
32年(1957年)
桐陰祭が始まる。中学・高校の桐陰会を分離 -
33年(1958年)
創立70周年記念式典が挙行される -
36年(1961年)
昭和26年より始まった現在の高校の鉄筋コンクリート造校舎が完成
生徒ホール(現・高校被服室)落成 -
38年(1963年)
講堂兼体育館(現・中学コート面)完成
高校1年生(74回)より1学年6学級編成となる -
42年(1967年)
桐陰会雑誌137号で廃刊 -
43年(1968年)
創立80周年記念行事が開催される -
44年(1969年)
男子中学生の長髪が許される -
45年(1970年)
高校で制服制度廃止 -
46年(1971年)
セントラルヒーティング施設完成 -
48年(1973年)
筑波大学開学 -
53年(1978年)
東京教育大学が閉学。筑波大学附属中学校・高等学校と改称
初めて海外からの帰国生徒6名が入学 -
55年(1980年)
武道館落成 -
60年(1985年)
高校1年生(96回)より男女同数となる -
61年(1986年)
桐陰同窓会が発足し、事務局を八重洲口中島法律事務所内に置く
第1号会報発行、第1回総会開催 -
63年(1988年)
創立100周年記念式典挙行、100周年フェスティバル開催
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平成
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8年(1996年)
中学・高校体育館が落成。男子中学生の制帽着用が自由化される
同窓会事務局をお茶の水神尾記念病院内に移転 -
11年(1999年)
コンピュータ教室開設、校内LANが敷設される -
12年(2000年)
同窓会事務局を音羽花和ビルに移転 -
15年(2003年)
空調設備が設置される -
16年(2004年)
筑波大学が国立大学法人となる。富浦水泳場開設100周年 -
20年(2008年)
創立120周年記念式典挙行、ホームカミングデイ開催 -
22年(2010年)
中学・高校合同プール完成、安全祈願式が行われる -
24年(2012年)
桐陰会館の設計者を卒業生建築家からプロポーザルコンペで選び設計開始。基本設計・実施設計完了 -
26年(2014年)
桐陰会館2月着工、9月完工 -
27年(2015年)
同窓会事務局を桐陰会館内に移転
桐陰会館完成記念ホームカミングデイ開催 -
30年(2018年)
創立130周年記念式典が挙行される
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令和
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元年(2019年)
平成31年5月1日より令和元年 -
2年(2020年)
新型コロナウイルス感染拡大により、授業・各種行事の中止や変則的実施 -
4年(2022年)
秋篠宮悠仁親王殿下ご入学
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