ご挨拶

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桐陰同窓会について

桐陰同窓会 会長

渡辺博史(76回)

2016年度(H28)総会時以降、畔柳信雄様のあとを継いで、桐陰同窓会の会長を務めております渡辺博史です。

中学から附属生となり桐陰会歌を歌う生活を6年過ごさせて頂きました。高校の担任が体育担当そして日本バレーボール界の重鎮であった中村敏雄先生だったことと、東京オリンピックでの「東洋の魔女」の活躍に魅されたこともあって、高校時代には、バレーボール部に所属し、卒業後も中高で後輩のコーチを2年間ほどしていました。「文武両道」という言葉に刺激された訳でもありませんが、院戦の実行委員長として走り回ったほか、代議員会の議長なども務めました。また蓼科の合宿には卒業後も参加していました。(附属中学時代は、テニス部、演劇同好会に属し、3年生の秋(昭和39年)には、ちょうど一回目の東京オリンピックが開かれた時期であったこともあり、五輪色を濃く出した運動会の実行委員長も行いました。)

職歴を申し上げれば、昭和47年に大蔵省(現財務省)に入り、35年間勤務しましたが、30歳台からの10数年は国民にあまり好かれない税金の話、特に利子課税(マル優の廃止)、消費税(導入及び税率引き上げ)といった増税作業に従事したためにほとんど「国民の敵」と呼ばれていました。ところが、最後の10年ほどは大きく途がスライスし、国際金融の世界に巻き込まれ、世の中的には「通貨マフィア」と言われるポストでも仕事をしました。退官後は、一橋大学大学院商学研究科の教授となり「国際金融環境」を講義しましたが、その後国際協力銀行(JBIC)に移り最高経営責任者(CEO)職を約8年務めました(国際協力銀行には、「リーマン・ショック勃発の2週間後に着任し、英国のEU離脱、いわゆるBREXITのまさにその日に退任した」ことになります)。

ということで、今世紀に入っての十数年海外出張の日程の都合で、なかなか総会にも出られず、また業務へのお手伝いも全くできなかった身でしたが、事務局の幹事をはじめとする皆さんのご尽力と、野城、川本両副会長のご支援を得て、何とか桐陰同窓会の会長を続けております。今後も、会員皆様のご協力を頂きながら精一杯務めてまいりたいと思っています。

社会、経済、文化の「国際化」が急速に進展・深化し、それに対するアンチテーゼまでが囁かれる時代において附属高校、附属中学にも新しい波が押し寄せています。新型コロナウイルスという未曽有の災禍に見舞われる中で、生活の様相も大きく変わっていきますが、その中でも日本と言う枠の中にこもるのではなく、国際的な積極的協調の推進が求められる時代となっていますので、附属高校には真の意味でのグローバルな視野にたった教育活動への挑戦が求められています。現役の学生の皆さんと先生方が中心となって進められる挑戦ですが、我々同窓生は自らの実社会での経験を現役と共有する仕組みを如何に構築するか、あるいは国際的な連携の強化という取り組みへどのような形での側面支援ができるかといった貢献の在り方も考えていければと思っています。既にいくつかの分野でこの困難な状況を克服するための方策を桐陰会同窓生が提言されているのを拝見し、心強く思っています。また、その一環として私のこれまでの国際的な経験も多少なりとも活かせて行ければと思っています。

こういう課題がある中で、このホームページを活用して、これらの点について、意見交換、提言受付などをしていければと思っています。

また、新設された桐陰会館を拠点として活用しながら、同窓生間のみならず現役との交流の機会をより多く作っていければと思っています(過日、76回の学年同窓会の際に桐陰会館を使わせて頂きましたが、なかなか快適でしたし、二階の資料室には過去の記録・資料が豊富に保管されていました)。

同窓生の皆さまと共に、考えながら進んでいければと思っていますので、温かい支援とご理解を心からお願いいたします。