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【同窓会】岩井克人君(73回)の文化勲章受章をお祝いする

 

岩井さん、文化勲章受章おめでとうございます。

附属中学・高校を通じた級友の一人として大変嬉しく、誇りに思います。亡き中川浩

一先生、倉林三郎先生も、教え子のたゆまぬ努力の成果を賞賛しておられるのではない

でしょうか。

高校4組での岩井さんはいつも冷静で、青臭い議論の場には加わらなかったようでし

た。そんなこともあり、“映像を伴って”私の記憶に残るのは、昼休みに笑顔でバスケ

ットボールに興じる姿でした。そしてジャンプの着地に失敗して骨折(捻挫?)。杉並

区の K 病院に入院しているところを見舞いに行きました。今でも中央線の電車に乗り、

車窓から K 病院の看板が見えると、岩井さんとセットで思い出してしまうのです。

にわかには信じられないことですが、その岩井さんは理数系に強い一方で、なかなか

の文学少年でした。クラスの卒業文集に幻想的な短編を残しています。ひょっとすると、

人生の最初の分かれ目は、ここにあったのかも知れません。

 

岩井さんの本当の姿を思い知ったのは、私が社会人になってからです。MIT に進み、

サムエルソン教授の直弟子になった、と誰かから聞きました。大学時代に『経済学』と

いう同教授の大部の著書を、日本語に翻訳されているにもかかわらず、四苦八苦して読

んだ記憶がよみがえって、「えっ、あの大先生に直接教わるの?」と、びっくり仰天し

ました。しかも一番弟子と呼ばれるほどの実績を挙げて。岩井さんは帰国後東京大学の

教授に就任、後に経済学部長の重責を果たされました。

その後、2007 年に、岩井さんを、当時私が勤務していた静岡のテレビ局に招き、「会

社はこれからどうなる」といったタイトルで講演していただきました。講演はとても素

晴らしく、集まった静岡経済界のトップの方々には大満足でお帰りいただきました。

しかし、私の記憶にひときわ鮮明に残っているのは、講演会後の懇親会です。酒が入

るに連れて話が弾み、私は不躾にも「東大教授って年収はいくらくらいもらっているの」

と聞きました。答えを聞いて愕然とした私が、岩井さんに「もっと食ってくれ、飲んで

くれ」と勧めたのは言うまでもありません。こちらは会社の経費ですから。

 

さて、岩井さんは大学入試に当たって理系に進むか、文系に進むかでずいぶん迷ったそ

うです。恩師にも相談して今の進路を選択したとのことです。私はずっと後になってそ

れを知り、またまた驚きました。文・理で悩む?そういう人が存在すること自体考えら

れませんでしたから。

私は今、妄想しています。大リーグの大谷選手のように、ものすごく高いレベルで投

打の二刀流をこなす人が現実にいます。この世に岩井さんが二人に分かれて存在してく

れていたら……。岩井 A は経済学者に、そして岩井 B には大蔵省に入ってもらいたかっ

た。彼の並外れた洞察力と正義感があったら、日本の行財政は今のような体たらくには

なっていなかったのではないか。私は本当にそう思っています。

岩井さん、これからもますますのご活躍を祈ります。

 

 

原田 登志雄

(73回4組)

 

 

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