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【同窓会】阿形清和君(81回)の文化功労者への選出をお祝いする

え! 阿形が文化功労者!?」

 

このほど、阿形清和氏(81回6組、基礎生物学研究所長)が文化功労者に選出された。いつも<阿形>と呼び捨てにしていた仲間の受章に驚くとともに、心からお祝いしたい。

 

阿形は、筆者と同じく<高校外部>の6組の同級生であった。そして、共にサッカー部に入った。サッカー部は附属中学校のサッカー部からあがってきた連中が主力だったこともあり、高校からサッカーを始めた筆者と阿形は朝練とかをやりながら、何とか追いつくよう頑張っていた。特に、6組では、附属中学校のサッカー部から上がってきた4人と高校からサッカーを始めた3人の計7人もサッカー部に入っていたこともあり、昼休みも早弁して、前庭のバスケットコートでミニサッカーに興じていた。午後の授業が始まるぎりぎりまでサッカーをしていたため、暑い夏には上半身裸で授業を受けていた。教師は怒ることなく、裸のわれわれを優先的に当てて、前に出て板書をさせるということで意志表明していた。高3になった時、受験勉強に入るので院戦を最後に多くの部員は引退したのに、阿形はサッカーがやっと面白くなったところで辞めるのは嫌だといってずっとクラブの練習に出続けていた。そんなこともあって阿形は再生研究者になると言って、2浪して京大へと進学した。浪人中にスキーを借りに行って勉強の邪魔をしたと、私は吉川淳氏(81回6組、元野村ホールディングCOO)に叱られ、今まで2浪の原因となったのではと気にしていたが、それはなさそうだ。

 

阿形は、京大に進学後もサッカー同好会でサッカーを続けるとともに、理学部の生物物理学教室の岡田節人研究室に教養の1年の時から出入りして研究者への道を歩み始めたと聞いている。その後は、京大で理学博士の学位を取り、基礎生物学研究所の助手、兵庫県立姫路工業大学で助教授、岡山大学の教授を経て、2000年から理化学研究所が神戸に創設した発生・再生科学総合研究センター(通称・理研CDB)のグループディレクター、京大の教授、学習院大学の教授を経て現在の基礎生物学研究所の所長となっている。研究場所はいろいろと変わっているものの一貫してイモリやプラナリアを用いた再生研究をしてきたと本人は言っている。そして、何処に移ろうともサッカーは続けていたと言っている。また、移った先にサッカークラブが無い時は自分でクラブを立ち上げてサッカーを続けたとのことである。現在も姫路工大在籍中に立ち上げた相生市の地域クラブ『矢野スポーツクラブ』で少年サッカーの監督を続けているとのこと。2016年に学習院大学の教授として東京に戻ってきた時も桐鏡クラブ(附属とお茶大附属のサッカー部のOBが作る合同チーム)に参加して、久しぶりに一緒にプレーをした。阿形も筆者と同様に高校生の時にサッカーに燃え尽きなかったことで、死ぬまでサッカーを続けるつもりのようだ。

 

 

阿形の再生研究の業績について本人は次のように述べている。

 

『高校生の時に講談社のブルーバックスの<細胞の社会>という啓蒙書を読んだことで、再生の研究者になろうと決意し、その本の著者の岡田節人先生がいる京大を目指した。そして入学式後の教務ガイダンスの時に岡田先生と会うことができ、”再生の研究がしたくて京大に来ました”と自己紹介したら、”おもろいやつが来た”と言って、研究室への出入りが許され、岡田研究室での再生研究が始まった。岡田先生によると、一般の人々は生物を個体単位で見る習慣がついているが、生物の基本単位は細胞であり、生物学者はヒトを見る時でも約37兆個の細胞が作っている<細胞の社会>として見る習慣をつける必要がある、とのこと。すなわち、生物の再生とは、<細胞の社会>の一部が失われた時に、細胞を使って元通りに戻すこと、と定義される。そうような観点で再生現象を見ると、細胞の社会の一部が失われた時に、残っている細胞は、どの部分を失ったかを感知する能力を持っていること。さらには、失った部分の構造と機能を復活させることができる、とんでもない能力を細胞は持っていることがわかる。私は、細胞の持つ摩訶不思議な能力を理解するために、再生能力の高いイモリやプラナリアを使って50年近く再生研究を続け、それらの謎を細胞レベルさらには分子・遺伝子レベルで解いたことで、国際再生生物学会賞や文化功労者を顕彰されることになった。具体的には、<細胞の社会>において細胞は座標を作って<細胞の社会>を構築しており、個々の細胞は位置情報を持っており、再生過程では位置情報の作り直しをすることで元の<細胞の社会>を再生していることを見出した。すなわち、<細胞の社会>の一部が失われた時、残存部の細胞は、座標のどの部分が失われたかを、座標の端を再生することで認知し、途中の失われた座標部分を作り直し、あとは、その座標に合った細胞を作ることで元通りにしている、という普遍的な再生原理を明らかにした。そして、その座標や位置情報を作る遺伝子・分子システムをプラナリアやイモリを使って明らかにした研究で、世界的な評価を受けた』とのことであった。本人としては、高校生の時に抱いた疑問を50年かけて自らの手で明らかにしたことで充実感があるようだ。さらに『多分、<細胞の社会>を作る3軸(頭尾・背腹・左右軸)の座標システムはカンブリア紀に完成し、その後は何丁目・何番地にどのような細胞を作るかのトライ&エラーを繰り返しながら、環境に合った形態や機能を持った多様な生物が現在進行形で進化している、と考えている。すなわち、われわれヒトもプラナリアやイモリと同じような座標システムで出来上がっている』とのこと。

 

また、阿形が言うには、再生生物学という分野を確立し、それらの研究成果をベースに再生医療、そして高齢者のQOL (quality of life)を上げることを目指そうと1994年に提唱して、それから日本発の再生医療が全世界へと展開されるようになったことも受賞・受章へとつながったとのこと。そして、やがて70歳を迎える現在においては、昨年手術した左膝関節について、自分を実験台にして、再生によるQOLにトライし、いよいよサッカーに復帰できる状態になったとのことで、この経験を多くの方々に活用して頂きたいとのことであった。

 

阿形の再生の研究がいよいよ自分達の体に活かされる年齢になったようだが、お互いこの世を去る時までサッカーができることを夢見ている。阿形の山仲間の讃井純一郎氏(81回6組、元関東学院大学副学長)から阿形の三つ目の情熱の対象の山登りのエピソードも寄せられているが、これはまた別の機会に披露することにして、附属愛に溢れる、阿形へのお祝いの言葉を締めくくりたい。

                                                                                潜道 隆

(81回6組)

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