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清滝信宏氏の文化功労者への選出をお祝いする

 

 

このほど、清滝信宏君(82回2組、現プリンストン大学教授)が文化功労者に選出された。誠にうれしく思うともに、心からお祝いを申し上げる。

 

清滝君は、港区立青山小学校、附属中学、附属高校を経て東京大学経済学部に進学した。経済学部では宇沢弘文ゼミで学んだ(因みに宇沢氏も1983年に文化功労者に選出されており、今回の清滝君の選出により師弟で選出されたことになる)。その後、東京大学経済学研究科を経て1985年ハーバード大学で経済学のPh.Dを取得した。

 

その後の経済学者としての活躍は目覚ましい。ウィスコンシン大学マディソン校を皮切りにミネソタ大学、LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)、プリンストン大学と経済学の名門大学で教鞭をとり、NY連邦準備銀行の学術顧問の一人でもある。ノーベル経済学賞の候補として、その時期になると日本の新聞でもとりあげられることをご存じの方もおられるだろう。

 

清滝君の経済学上の業績は次のようなものである(筆者の友人の経済学者から聴いたところによる)。いずれの業績もマクロ経済学の基礎となる理論を、(経済学としては)シンプルな数学を使ったモデルで魔法のように解き明かすところが高く評価されているという。

 

(1) 伝統的な「ケインズ経済学」にミクロ的基礎を加えたニューケインジアン・マクロ経済学の理論的支柱を与えた(Branchard and Kiyotai論文など)

 

(2) 「貨幣の役割」に関して画期的な視点を経済学に導入した(Kiyotaki and Wright論文など)

 

(3) 経済に対する小さなショックが与信限度額と資産価値の相互作用によって増幅されて、景気循環をもたらすメカニズムを,経済学的にシンプルなモデルで明らかにした(信用と景気循環に関する「Kiyotaki=Mooreモデル」)。

 

さて、筆者は附属高校で清滝君と同学年で、ともにバスケットボール部(篭球部)に所属していた。高校時代、清滝君が学業優秀であったことは分かっていたが、それほど目立った存在であったわけではないように思う。ただ、自己を前面に押し出すタイプではないけれども、自分の意見やこだわりをしっかりと持っていた。人に対して優しく、誠実で、それゆえに尊敬され、バスケットボール部ではキャプテンに選ばれた。

 

大学に入り、清滝君と筆者は、何人かの先輩・後輩とともにバスケットボール部OBとして附属中学、附属高校の後輩のコーチをした。彼のメインの担当は中学男子チームであった。その時期には彼とよく酒を飲んだ。

 

清滝君は、当時、お兄様と二人で初台のマンションに住んでいた。そこにコーチ陣みんなでおしかけて泊まることが何度もあった。彼の見識の高さを知ったというか、凄い人だと思ったのは、その時期である。彼は、酒を飲んだ後も勉強するなど学業もきっちりやっていたが、何より本当に博識だった。具体的な内容はよく覚えていないが、皆で議論しているときの彼の何気ない一言に感心させられたことが何度もあった。

 

清滝君の東京大学の入学は文科三類であり、経済学部に進むのは転進であった。それがどのような理由であったのか、筆者は知らなかったが、文化功労者の発表後の10月27日付の日経電子版の記事によると、「人は利己的で近視眼的なのに、なぜ経済は機能しているのか」を研究したかったからのようである。今更ながら、いかにも清滝君らしいと思ったところである。

 

この電子版の記事には清滝君の近影が載っているほか、YouTubeでは彼のレクチャーやインタビューの動画をいくつも見ることができる。確かに、40年以上の時を経て、見事な白髪となっている。しかし、ゆっくりとした丁寧な語り口、優しい笑顔、時に交えるユーモアなど、彼の性格がよく出ていて、昔と変わっていないなと思う。

 

清滝君は、最近でも次々と論文を発表するなど活躍ぶりは今も続いている。今後とも健康に留意したうえでさらに活躍されることをお祈りしたい。

 

正直にいうと、彼とは約20年前に京都で酒を飲んで以来、連絡をとっていなかった。ノーベル経済学賞をとることになったら、会うこともままならなくなるかもしれない。その前に一献傾けたいなと思うこの頃である。

(82回4組 本多正樹)

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